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死を語り生を思う
死を語り生を思う (JUGEMレビュー »)
五木 寛之
生と死にテーマを置いた対談集。深い示唆を与える対話が多く、買って良かったと思った一冊。
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緩和ケアの話
土曜日に、緩和ケアについての講演を聴いてきました。

そこの事例は、患者1に対して看護師1.
…なんと素晴らしい。まあレアでしょうね、それは。
いくら緩和ケアといっても、そこまでできるところはあるまい…。

ここ10年で、相当数ホスピス及び緩和ケア病棟は増えたのだが、とても地域格差があるような気がしてならない。

私ががんになって、治療を施す意味がなくなったらどこへ?と思って検索してみた。(在宅ホスピスの診療所は検索していません)
わが町は4月から政令指定都市になったにも関わらず、市内にはなかった。
まあかろうじて、家族が通えそうな、片道一時間くらいのところに二軒あることはあった。

では、たとえば、山梨県上野原市に住む私の親戚が、がんの末期で「あたしゃ、緩和ケアを受けたい」と言ったらどうなるかと思って、再び検索してみた。

無い。
甲府まで行かないとない。
上野原-甲府間、電車に乗っているだけで1時間半。
親戚宅は辺鄙なところだし、ドアツードアだと2時間半越え。
遠すぎる。

せめて1つの市に一箇所以上はできないと、家族に無理がかかる。
都市部に住む人だけが、緩和ケアを受けられるというのでは、不公平だ。

過疎ならば過疎なりの規模でもいいではないか。

緩和ケアの受けられる施設、もっと増えるといいよね。
おのずと、死について考える場が増えるということでもあるから、とてもいいだろうね。
何かそういう活動のお手伝いができないかな。
今も多少はしていることになるのだろうか…。

A・デーケン先生に、昭和天皇のがん告知についての裏話など、お茶会で聞けたのが興味深かった。
結局、あれこれ話し合いがあったけれども、昭和天皇に告知は、なされなかった。
たかだか22年前だが、ずい分変わったな。

それでも日本はまだまだ…。
アメリカではずい分前から本人に、「月単位」「週単位」という余命の告げ方をしている。
あの有名なジャーナリスト・千葉敦子さんのとき(1987年昭和62年アメリカで逝去)、すでにそのような告知がなされていた。

いや、真似がいいというのではなく、自分のことくらいは、周囲の勝手な『知らないほうが幸せだろう』とかいう憶測によって騙されることなく、知っておくべきじゃないかと思うところから。
posted by: プレア | 哲学・死生学 | 17:34 | comments(2) | trackbacks(0) |-
損得で考えてもいいと思う
 少し前に、冥界観のようなものをテキストにする機会があった。

文章を書くと、自分の頭の中が整理できるので、こういう機会があるのはありがたい。
某死生学関連の会報で、会員コラムを書かせていただいたのも、とても良い勉強になった。
配布先のリストを見て、後で青くなったけど。

さて、要するに冥界観とは、「死後の世界があると思うか否か」とか「あるとしたらどのように捉えているか」などに関わること。

この問題ほど、長年人類が興味を持ってきているにも関わらず、普遍性を持たない類のものも珍しいんじゃないだろうか。

誰がどれだけ、「死後の世界はある」と論理的に主張しようが、証拠たる心霊写真を持ち出そうが、必ず反論の憂き目に遭い、1000年以上も普遍性を持ち得なかった。

1000年以上。
そう、日本では、古くは源氏物語にすでに物の怪が、悪霊がという記述があるし、西洋ではかのシェイクスピアが堂々とハムレットの父の亡霊を出演させている。

結局、証明できないことは普遍的にならないのか。

私個人としては、「死者は生きている」と認識しなければ説明のつかない出来事を経験してしまっているので、
声高に「死後の世界はあるんだよ」と訴える側に回りたいけど、1000年以上も普遍性を持ち得なかった物事の白黒を、叫ぶ気力を持たないヘタレです。
(昔は叫んでたね…。昔のことは忘れてね、そこの方々…(誰))
今は、無いと思いたければそこに意味があるんじゃないか、なんて考えてる。

ただね。

死後の世界があるという前提で生きていた方が、どうやら得だという意見を聞いて、とても納得したのでご紹介したい。

損得で判断するなら、現代人も得手だろうしね。

さて、それはこんな考え方です。


1.死んだら何もない、終わりだと思って生きてたのに、もしも死後も魂のようなものだけになって生きていたら?

体だけがない。なんだこれは。生きていたときのやり残し、過ちを正す体がない。
苦しく、もどかしい。こんなことなら、悔やまぬよう、正しく生きていればよかった。ありがとう、ごめんなさいとあの人に言っておけばよかった…。

2.死後の世界はあると思って生きていて、実際は何もなかったら?

なかったのか。真っ暗だ。何もない。つまらない。寂しい・・・・・・・・・・・・・と思う自分もありません。


ね。
あると思って生きていた方が得なような気がしません?

多くの哲学者が、「自分の死など無い」と言うのと、性質が似ています。
私は、完全にあると思っている…というか、知っているといってもいいくらいなんですが、冥界観については、私の真実は私のものでしかないようなのです。

でも、無い!と思っている人も、ある!と思っている人も、互いの意見は拝聴したいね。
自分と違うからといって、最初から拒絶するのではなく、自分と違うからこそ、ふむふむと拝聴したい。

万人の信条を、自分と同じにさせたい気持ちの究極がテロだからね。
反対意見の傾聴こそ、良識ある大人の態度かなあと思います。


予告。
次に真面目なテキストをUPするときは、多分マスコミへの怒り関係。
「たらい回し」「拒否」って言葉使うんじゃねーよ、このタコ!という概要になります。
今、この件についてはいい加減腹が立ってるので、論理的に言葉を紡げるようになってからw
posted by: プレア | 哲学・死生学 | 12:11 | comments(2) | trackbacks(0) |-
やっと…
 やっと出来た……orz


「東京・*と死を考え*会」の新サイト。


こちら


良かったら見てやってくだせー。


素人のボランティア仕事の上に、


船頭多くして船、丘に上がりかけていたのを連れ戻し、自分の考えを随所で押し殺しているのであちこちに心残りはあるのですが、(という言い訳…嘘ではないけど)
まあ見た目は前よりも多少は良くなったべ。と思います。
どの意見も入れて、の精一杯だ、これ。


↑と、愚痴を書いちゃったので、この記事は期間限定とします。



ああああーーーー、ホッとした。やっとここまできたわ。

あとは行事ごとの更新作業のみね。


どうか、お一人の方がまとめて連絡くれますように。(笑)
posted by: プレア | 哲学・死生学 | 15:50 | comments(2) | trackbacks(0) |-
受容と無縁になった日本人
 諸々書くつもりですが、まず「受容の話」

最近とても違和感を感じたことがあった。
新型インフルエンザに関して、二度。

私はNY帰りの東京、神奈川の高校生に関しては、「そういう理由じゃ行きたいよなぁ、しょうがないよなぁ」と思ったのだが、学校長は涙ながらに謝罪。
二人の感染はすべて学校の責任と言う。
これが1つ。泣くほどの落ち度かと。
どうしても責任云々というのなら(そもそもこれが好きではないが)、
それならイベント開催地はすでに感染者蔓延していたNYなのだから、主催者側が延期なり中止なりすべきだったかもしれない。

大阪だか兵庫だかの高校には
「移ったら誰が責任とってくれるんだ!」
という苦情の電話が父兄のみならず近隣からもかかってきたとかいう報道。

日本人にはもう「受容」の心が無くなったのかと思った。
新型インフルエンザが発生した。
海外では死者も出て、大流行の国もある。
国内で流行は時間の問題だったではないか。
「あらー…近いところに出ちゃったわ、気をつけなくちゃ」
それしかないような気がする。

インフルエンザの感染を、誰かのせいにする。
水際で止まってないじゃないかと厚労相を責める。

そりゃあ、目に見えるでかい動物かなんかを入国させちゃったんなら、入国管理体制がどうのと言うのも多少は理解できるんだが。。。
これ「H5N1」なんかが入ってきたら、誰か逮捕されるんじゃないかと、私は思った。


医療裁判に持ち込む心理経過に似ている。
「誰のせいなんだ」っていう犯人探し。

いつだって、誰だって死ぬかもしれない。寿命は誰にも分からない。
しかし、最近では医学の進歩という恩恵で助かることが多くなったものだから、「死なない」と思っている。

いやいや、当たり前だが人は死ぬ。
「どうしてコイツが死ななきゃならなかったんだ!」
その、受容できない心で責任の所在探しを始める。

「あんたがあのとき検査してくれたら!」
裁判が起こる。
医師、心折れる。
まさか今時死なないだろうと思われている科(=裁判が多い科)から医師が減少している(産婦人科・小児科)

医療崩壊は、すでに始まっている。

直接の死因は色々とあるでしょうが、人間の死因は「生まれたこと」。
ここが大事。


たとえばこんな史料がある。

江戸時代、ある村で死産がありました。
子供は本当に残念でしたが、実はよくあることでした。
お母さんは嘆きましたが、お母さんは無事産後の回復をしていっています。
7日経ちました。
七夜祝いの赤飯が隣組中に配られました。

子は残念だったけれども、お母さんが無事だったので祝ってあげようねというわけです。
現代でそれをやったらどうなりましょう?恐ろしいですね。

そして日々をお天道様に感謝して生き、今在るいのちと実りを祝う祭りは、団結して現代よりも賑やかに催されたということです。
「庄屋日記にみる江戸の暮らし」(ミネルヴァ書房)より

これは日本史のレポートを書くに当たって必要だった文献なのだが、非常に興味深く、書庫行き決定書籍になった。(=amazonで売らないってことw)
200年も経たないうちに、単一民族なのに死生観がずい分変わったようだ。

実際社会は変遷しているので、これは極端な例になるのかもしれないが、「受容できる心」「受け入れる心」「起きてしまったことをネチネチ責めずに次を見る心」がもう少しあってもいいのではないかと思うことが、最近どんどん増えていっている気がする。


…というような内容のコラムをですね。(細部全然違うけど)
「東京・生と死を考える会」の会報に二度ほど載せていただけることになりました。
夏号と秋号で。
色々な病院や大学に送られる冊子にエライことを「やっちまったなー(古)」と思ったのですが、もうまな板の鯉。
その際にはPDFか何かで皆さんにも見ていただけたら幸いと思います。

って、ここPDFリンクできるのかな。

お手伝いしていたサイトのリニューアルは間もなくご紹介できると思います。(委員会承認待ち)


*

昨日、提出印字用レポート用紙にさあ印字して提出と思っていたら、また…

「ファンを繋げている部品が中でゴロンと落ちてるから、今このパソコン使えません」ってまたDELLのやつ…。
うっ。。。( ̄x ̄;)これ二度目。

何故に部品が落ちるとかいう、レトロちっくなエラーなんだい。。。

ノートPCにはワード入ってなくてね。。。
オープンオフィス使ってるんだよね。フリーソフトの。あれ、いいよね。
話、逸れた。

DELLくん、おばちゃんは残念でならないよ。

posted by: プレア | 哲学・死生学 | 17:30 | comments(3) | trackbacks(0) |-
お役に立てますれば…
誰かの役に立てたら光栄。
こんな気持ちは、自分を幸せにさせてくれます。
自分の幸せのためだとしたら、偽善なんでしょうか。
でも、たしかに「役に立ちたい、良くしたい」という相手に向けた気持ちがあるのだから、お許しいただけるのでしょうか。
難しいです。

アルフォンス・*ーケン先生が名誉会長を務める、「東京・*と死を考える会」のWEB分野でお手伝いをさせていただくことになりました。
デー*ン先生もにっこにこと「すばらしいことです、アリガトウアリガトウ」と何度も何度も暖かいぽっちゃりした手で握手して祝福してくださいました。
リニューアルの提案が出ているので、過去に何度かサイトを構築した経験を生かせればと思います。
いくつか雛形を作成して、委員会にデータを持参することになっています。
うれしいなったら、うれしいな。
春以降になりますが、リニューアル完成した際にはリンクしますので、是非見てやってください。
同時に、生と死を見つめて深く生きたい東京近辺の方は、会員も募集中です。また全国各地にもあるようですよ。

…自分のやらなければならないこと、優先順位は忘れずお手伝いをしようと思います。
日ごろの行動はもちろんのこと、心の占有率ですら間違えていると、とーんだとばっちりが…来るんですね、実は。
実はもう来てたりとか。
‘ボランティア’は慎重に。

その打ち合わせは二の次で、日曜日の会のメインは「日*原重明先生の講話」でした。
聖ルカの超有名な方ですよね。
いつもの会場は満員御礼。どうにか空いている椅子があったので、座って聞く事ができましたが。。。
もうびっくりの嵐。98歳ですよ、98。
一時間半立ちっぱなしで、聞き取りにくいこともなくずーーーーっと話し続けられる98歳でいらっしゃるとは想像していませんでした。
しかも所々笑いのツボも押さえてらっしゃる。
時折涙のツボも押さえてらっしゃる。

続きを読む >>
posted by: プレア | 哲学・死生学 | 10:53 | comments(4) | trackbacks(0) |-
某所の忘年会へ
デーケン先生率いる「東京・生と死を考える会」の忘年会。@四ツ谷
土曜日に、子供たちにカレーを作り置いて出かける。

ところでどうして飲みに行くときは「カレー」なんだろう…?
昔からそう。
簡単に野菜、肉、ごはんを食してもらえると思うからかしら。
来週もあるんですが、またカレーかしらん…。せめて具は変えようw

たいっへん光栄なことに、私の席の前にあの、アルフォンス・*ーケン先生がっ!
(*´ェ`*)……♪
先生とお酌しあって飲むという、夢のような時間。
至福でございました。

もちろん、そんな喜びの他にも、食事の合間に「生と死」らしい会話を交え、母の闘病の話からがんセンターの話になり、「がんセンターにはなぜかホスピスがないですね、先生」「イマようやく札幌では20床作ってマスネ」とかいう話に花が咲くという…これねぇ…死生学をやりたい者には本当に贅沢な時間だったと思います。
ありえない。感謝です。

こないだ私、お友達のブログのコメント欄で、「実質もう酒止めた」と書いたんですが、私淑するドイツ人の先生にビール注がれて飲まないわけにいかなかったです。
あっはっはっはw…(汗)。
ドイツ人ビール大好き……んで、強い…。
つられて飲んださ、そりゃ…。がぶがぶと。
でもちょっとお太りになったようなので、気にされているのか3杯くらい飲んでからは、ワインをお飲みになりました。

顔見知り程度はできたけど、ここにはまだお友達いなくて、この日もね、行く前は非常に気が重かったんです。
だけど「どうしても行かなければならない」気がしていて、こういう直感には従うことにしているんです。
必ず不思議な出会い、有意義な時間があるので。

とても価値観の似ている男性とも熱論を交わすことができましたし、金の蝶ネクタイつけたデー*ン先生のネタ見え見えのマジックも大笑いできた。
そして最後、会のWEB担当者から「どなたかHP作れる方でお手伝いできる方は、是非」というお声かけがあり、その時にA・D先生がなぜか私を振り向き、何度も頷きながらニッコリ笑ってくださるわけですよ。
(あ、これが今日のご縁だ…)
とピンときまして、そういうことになりました、とさ。

どんだけ生活を忙しくすんの、あんたって感じですが、進んでいる方向は一方向です。
この会には何でもいいから役立ちたかったので、その第一歩ですかね。


(どうしても〜〜しなきゃいけない気がする)という直感に身を任す。
そうすると、また次の進むべき指針を示してくれるかもしれません。
自分の進む道と思っている分野などで、やってみてください。ぜひぜひ♪

帰り、ボーナス時期をいいことに「死生学 第一巻」という今年出た本を買う。
東京大学出版会から出ました。
東大出版会の書籍には、(地学が難解だったので)懲りていたんですが、いえいえこれはよく分かる。面白い。すごく興味深い。
売る気のない本はバシバシアンダーラインを引きながら読むことにしています。
もうラインだらけでして、危うく論理学試験4日前に読破してしまうところ。(汗)
我慢、我慢…。さもないと論理学落とすぞぉ…?(||゜Д゜)

全五巻ですが、安いものではないので徐々に揃えます。
とうとう東大も新しい学問であるこの分野に着手したんだなという感じ。
A・D先生の上智はもちろん先駆ですが、他東洋A和女学院にも先を越され、いつ腰をあげるかと最高学府の動向は気になっていました。

ちょーーーっと気になるのは…、いえ、大分気になるのは、在籍している大学出版会からまだこの手の出版がない…。
ん…?…この分野で卒論指導受けられるかしら…(汗だくだく)
ひょっとしたら遅れを取っているのかもしれません…。うそーん…。

日曜。
掃除しながら、リビングに自分の学習スペースを構築。
家で勉強する気にならないのは環境が悪いのではないかという責任転嫁の行動に出たわけでw
いや、本棚とテーブルを並べて整理し、スタンドを置いただけなんだけど、気分は私の城♪
どうもダイニングテーブルに限界があって…(だと思うよ)。これは大正解でした。
その後はずっと論理学の練習題解いてた。すごく集中できる。
自信ないけど、やるだけやってみます。

¬(¬P∨¬Q)Pでない または Qでない というわけではない
……。
…いつも言いたくなるんだ、「日本語でおk」(爆)
posted by: プレア | 哲学・死生学 | 13:08 | comments(5) | trackbacks(0) |-
そろそろ気づいてみましょうか
とうとう医療が崩壊し始めたことに。
特に医師不足が深刻な産婦人科において、マスコミの言うところでの「たらい回し」「受け入れ拒否」が起こる。
これは、拒絶しているわけでも、拒否したくてたらいまわしをしているわけでもない。
正しく「受け入れ不可能」と報道すべき。
危険な母子を診られる施設も医師も決定的に不足しているのだから。
小児科医も縁の下の力持ちの麻酔医不足も深刻らしい。

近所にある婦人科開業医の異変に気づきませんか?
妊娠の経過は診るけれども、ここではお産はできません…そういうタイプの婦人科クリニックの増えたこと増えたこと…。
最近オープンした婦人科はそういうタイプではありませんか?

少子化を憂慮するなら、周産期医療をまずどうにかしないと。
そのうち、持病などがなくても、万一に備えたい人は大学病院にコネでも作っておかないと安心して産めないなんて時代がきたりして。
「いいわねー、私、大病院にコネがないから、産めないわー」なんて冗談でなく、こんな会話が数年後されるようになるのかもしれません。
「昔だってお産は命がけ、私は産ませてくれるところならどこでも。街の産婦人科クリニックで十分、何かあったらそのときはそのときよ」
そんな太っ腹の妊婦さんであってほしいですが、まあなかなかいない。
せめて娘には、出産するなら命がけと思えと言っておこう。

さて、何がこんなふうにさせたのか。
原因は一つではないようだけれども、私は「死生観の欠如からくる、死に対する犯人探し」を大きな原因として挙げたいと思う。

「なぜこんなことに」
「だれそれが、死ぬなんて」
「何が原因だ」
「今時お産で死産になるなんて」
「あれをこうしなかったからじゃないのか」
「そうでなければ、あんなに元気だったのに死ぬなんておかしい」

訴訟が起こる。
偏った報道される。
医師の志気低下。
訴訟が起きやすい科を選ばなくなる。(残念ながら人情ですね)
A総理が「医者には常識に欠けた人間が多いから」とかなんとか。
あと受け入れ拒否は医者のモラルの問題じゃないのかと言った閣僚もいた。
たしかにモラルに欠け、常識はずれな人もいます。どこの業種にもいるように、います。
なんだぁ?この医者…二度とかからねえよ…と、患者は医者を選べます。救急以外では。
救急医がその後の主治医になることはないから、いっとき感じ悪くても無問題。

でも保険点数の見直しなど、医療財源をカットして、医師不足に拍車をかけた国側の人間がそれを言っちゃダメでしょう。

マスコミのみならず、国までが崩壊に加担してどうする。。。
崩壊が始まっている現状、まったく閣僚たちには見えていないのか。

いずれ、江戸時代のように、漢方や赤玉、熊の胆だけで、健康と折り合いをつけていく時代がくるかもしれません。
それはそれでいいのかもしれませんね。
そこでようやく気づくのかもしれませんよ。
進歩したものをどうして壊したんだっけ?と。
早期の癌ですら、またもや不治の病です。
麻酔医が足りないんだから手術もできません。

とことん状況が悪化または退行しなければ気付かないのが、利己主義の沁みついた現代社会。
私は崩壊を淡々と見守っているところです。

ただ、ほんの少しだけ期待もしています。
こういう危機感を扱ったブログは今、多くなりましたから、それを読んだ方から少しずつでも何かが変わることがあるだろうかと。

娘に先日言いました。
「私がもしも急死して、もしかしたらあの検査をしたら助かったんじゃないかと思っても、みっともないから絶対に騒ぎ立てたりしないで。死ぬときがきたから死んだんだ。たとえば検査を受けられず、治療が間に合わなかったことも含めて寿命なんだ」と。

でも、恥ずかしい話、私も母が死の病にかかったときは「なぜ、どうして」で一杯でした。死にゆく人が近しいほど、理屈が飛び、混乱を来たすのも経験済みです。
母だって死ぬんだ、何歳だって人は死ぬんだと思い至らなかった。
でも医者がこうしてくれなかったから死んだんだとは思わなかったなぁ…それだけは過去の未熟な自分に対して救いです。

身内のやらかした恥ずかしい例。
伯母が今年亡くなったとき、伯母は家計と年老いた連れ合いを心配してギリギリまで我慢して病院に行かなかった。
息子が行こうと言っても行かなかった。
その伯母の兄妹がとうとうこんなことを言い出した。
「甥(息子)が引きずってでも連れていかなかったからだ。甥(息子)がねーちゃんを殺した

マスコミのやらかす恥ずかしいもう一例。
学校で事故が起こり、残念ながら学童が亡くなった。
記事の最後に一言。
「担任は職員会議中で見ていなかった」
ものすごい含意を感じられません?

皆同じ性質のものです。
受け入れられないものは、誰かのせいにする。
次官連続殺傷事件も同じ心理です。

これが私の言うところの、誰かの死に対する犯人探しです。

医療の現場から、死生観の欠如を嘆く声を、こちらで勉強していました。
更新終了されてしまって、非常に残念に思います。
とても分かりやすく、理性的に説いてくれるブログでした。
私が今後、勉強をしていく中でもバイブルになっていくだろうと思います。
posted by: プレア | 哲学・死生学 | 12:01 | comments(7) | trackbacks(0) |-
段々マスコミに腹が立ってきた
人はどんな理由で、いくつで死ぬか分からない。
いろんな理由で、誰もがいつかは死ぬ。
生まれた以上死ぬものなんだから。

喉に何か詰まらせて亡くなるのは太古の昔からあったこと。
各自気をつければいいだけの話。
こんにゃくゼリーを詰まらせたことだけを鬼の首を取ったように報道するから
おかしなことになる。
報道する事件事故を取捨選択することで、世論を誘導するのはいい加減やめるべき。
見事に誘導されてしまった野田大臣には失望しました。

喉に詰まらせた話ばかり報道してるけど、もっと意外な事故で亡くなっている人はわんさかいるはず。

妊婦が7病院に拒否されて云々もそう。
妊娠出産は命がけ。
無事が当たり前じゃなくて、母子共に無事ならうんと喜ぶべき。
妊娠中毒症から脳出血とか、早期胎盤剥離とか、危険はわんさかある。
どう見ても明らかな医療事故ならともかく、医者がいなくて受け入れられないという話は至極当たり前のことのように思うのですがね。
無責任に引き受けてから亡くなってごらんなさい。
「適切な処置を怠って…」とまた別の責任追及が始まる。

医学が進歩し、日本では病院でも、遺体を誰の目にも触れないように霊安室に運び、遺族以外の目に触れないでそそくさと運ばれていきます。
アメリカでは4人部屋でも二人部屋でもそのままそこで亡くなり、カーテンだけ閉めて、生きている患者の横で死後の処置が行われます。
昔からの穢れ思想も悪いようですが、そういう配慮のせいもあってか、益々日本人は死ななくなったと勘違いしている人が多い。
そういう人がマスコミにいるから始末が悪い。

医者は命を救うのではない。
病院にいようが、家にいようが、死ぬものは死に、生きるものは生きる。
生きていく者を少しでも人間らしく楽しく生きていけるよう、サポートしてくれるのがドクターだと思いますが、いかがでしょう。

いつから殺人でもないのに、人の「死」の責任を探すようになったのか。
それなら、神や仏を探したら?と言いたい。

【責任の所在探し】という報道ばかりに、毎日飽き飽きしています。
これでは医者は益々減っていきますね。
人間らしい暮らしのサポート、受けられなくなりますね。
もしかして食べ物は柔らかく、溶けやすいものばかりになっていきますか?
顎が退化してしまいますね。

「死ぬときが来たなら、ただ死ねばいい」 by アカギ
「人の生き死にまで医者がどうこうしようなんて、おこがましいと思わんかね」
by ブラックジャック

人は誰であれ、何歳であれ、死んでもおかしくないんだよ。
その事実を受容しよう。
悼むのは別れであって、死そのものではないはずだ。
強くなれ、日本人。


まあこういうことが気になるから死生学を学ぼうと決意し、今はお客さんのような会員に過ぎませんが「東京・生と死を考える会」でも、会のお手伝いをしていけたらと思っているわけですが、どう考えても前途多難ですよね。
でも今はブログと言う一般人でも意見や情報を発信する場があるのはいいことだと思います。

ふー…、ずっと胸につかえていたものを、やっと吐き出せました。
この違和感を表現するのが難しかったのです。
ここで取り上げたそれぞれの事故、病気で亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げます。
posted by: プレア | 哲学・死生学 | 12:01 | comments(10) | trackbacks(0) |-
アホニュース
墓地が満杯のフランスの村、村長が「死亡禁止」を通達
 フランス南西部にあるSarpourenx村の村長が、住民約260人に対し、墓地が満杯でこれ以上埋葬するスペースがないため、もしも死んだら罰を与えると通達した。.........≪続きを読む≫



こんなの死生学のカテゴリーに入れるのもおぞましい。


あほかっ!!!


そんなこと、人間の自由にでもなると思ってんのかっ!とかいう当たり前のコメントをするのもばかばかしいので、やめた!

こういうこと言ってる村長が一番先にお亡くなりになったりして?
あ。俺は墓地があるからいいんだ!という考えか。

墓地がそんなに重要か。
あたしゃ、墓地など入らんでもいいよ。
できれば、海にでも沈めて、地球の一部にしてもらいたい。
でもそこに心はおいておかないので、どっちでもいい。
だから遺族が入れたきゃどこかへ入れればいい。


あーーー、あほくさっ!
posted by: プレア | 哲学・死生学 | 13:16 | comments(6) | trackbacks(0) |-
老賢者がいない話から死の話
先日、会社の忘年会&送別会があった。



私以外はみなパート勤務であるから、必然的に大体いつも私が幹事役。





なんちゃって所長は、仕事が嫌いで忙しくなると不機嫌で返事もしなくなるし、提出すべき書類も面倒だと見て見ぬ振りだったりするが、こういう場では温厚。Aさんとしとこう。



もう1人定年後の男性がいて、こちらは人の上に立っていたこともあって、仕事はテキパキだが、すぐに人を下に見て、常に自信満々。自分の非などなかなか認めない。数え間違いだって、こうだと言い張る。Bさんとしとく。





今回の問題児ならぬ、問題爺はB。







一人ひとり、今まで観察してきたとかいう感想と問題点、改善点を





思い切り上司目線で発表しやがった。。。





これはやめるパートさんの送別会でもあるので…楽しくやりたかった私の顔は当然凍りつく…。





「Nさん、あんたこんなとこで作業してないでさー、口に油がついているくらい口が回るんだから、保険の外交でもやってたら、相当儲けてたのにね??はっはっは、もったいないことしたねええーーー」





Nさん、引きつる。私、唖然とする。

orz…





「いや、人それぞれ事情があるんであって…」と柔らかく口を挟もうとした私の小声など、聞こえやしない。





「Aさん(なんちゃって所長)、前から思ってたけど、人の上に立つ器じゃないねええええ???はっはっはっはっは!」





たしかにそうだが、一同、凍りつく。





当然、酒がまずくなり、会話も途切れ、やめる人は悲しそうな顔になった。

こういうのがKYの極致なんでしょうか?

腹立たしくて、帰りに苛々を落ち着かせるために、一時間ほど1人でお茶して帰った。当然今回は誰も二次会なんて言い出しませんでしたからね。

なんだろうねぇ?いい年して空気読めない、上手に酒呑めない…。

私は気をつけよう、といつものように自分に振り替えて片付けられない嫌悪感が残り、とても悲しかった。





かの池田晶子氏がいくつかの著書で嘆いていた。

「最近賢く年を重ねた、敬うべき老人に出会わない」

身を持ってそれは私も感じている。

そうなんだよ、私の周りにもいないんだよ。今。



思慮深い老人は、老人と呼べるか呼べないかといううちに旅立ってしまった。多分、経験や学びが十分で、もうこの世に用はなくなったから、賢者として卒業してしまったんだろう。

母と義理の父のことです。



そして義母が年とともに穏やかになってきてるから、4人の親の中で残るのはおそらく…気の毒な我が父かと。

なーーーーんも学んでないから、まだしばらく還れません。

「死ぬっていうのは、本当に可哀相なことだ。いくつだからいいってことじゃない。可哀相、ああ可哀相…」

そういう考え方しかできないあなたが一番可哀相だと一度言ってみたいが、烈火のごとく反論されるのは必至なので、黙ってます。

思い切りひとごとのようですが、自分の死はいざとなったら受け入れられますかね?





愚かさを晒して時間だけ長生きする哀れな様は、子供としては見たくない。

母の闘病も見るのが辛かったが、その数倍見るのが辛そうだ。





奇しくも、人が死ぬ場面に一番縁の深い医師たちは、日本人の死生観がおかしいと叫び始めています。

死を受け入れられないから、死を誰かのせいにしたがる。

死ぬなんておかしい、あのときあの医者がこうしていてくれれば」というふうに。

寿命で死んだと思わない。病気や医療ミスで死んだと思ってる。

あ、おかしいですか?私は最近、病気で死ぬとすら思わない。

死ぬときは寿命だと。

とにかく死んだのはお前のせいだ、お前が殺したと裁判ばかり起こされていたら医師などいなくなり、今までどおりの医療など受けられなくなりますよ。

まぁ…それで手遅れになって死ぬのも寿命なんでしょうが…。…こういう思索はループにはまりますね。

医療が受けられない、それならそれでいいのかもしれませんね。

そういう痛みがなければ気づかないのかもしれないから。



でもそれではあまりに情けない。

死の準備教育は本当に早急に、日本に必要なのかもしれません。

学校にも必要ですが、老人会にまず必要。

「そんな、縁起でもない!」と怒り出す老人には、一番必要だよ。





こんなことばかり考えて生きている私は、かなり幸せ者だと思っております。
posted by: | 哲学・死生学 | 15:41 | comments(7) | trackbacks(0) |-